2021年1月13日水曜日

【中野さんの芸能コラム】Performing Arts Review (40) 元インディアンズの多田野投手(2004-5)が語る米国の生活

 

Performing Arts Review (40)

 

元インディアンズの多田野投手(2004-5)が語る米国の生活

 

                            令和3117日 中 野 希 也

 

岩波ジュニア新書「期待はずれのドラフト1位―そのリベンジ」(元永知宏著2016刊)に偶然彼の記事を見つけたので抜粋しよう。

私が彼を知ったのは、16年前のJANOのニュースレター“SAKURA”200411月)の表紙の球場に立った写真。記事は


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ガンバレ多田野選手!

927日晴れ。澄んだ青空の下、Cleveland Indiansで活躍し始めたばかりの日本人選手との面会が実現しました。面会の交渉を執拗に続けた大の野球ファン三樹会長と池田哲・みゆきが気合を入れて出かけました

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多田野数人(ただの・かずひと)は1980年東京都生まれ。八千代松陰高校(千葉県)で3年生夏の甲子園に出場したあと、立教大学に進んだ。4年間で通算20勝をマークして、ドラフト一位候補として騒がれた。ところが指名がなく2002年に旅立ったのはアメリカ、メジャーリーガーを目指してたったひとりで海を越えた。クリーブランド・インディアンズの入団テストに合格し、マイナー契約を結んだ。

 


以下は新書の著者元永氏が2016年にインタービューした記事で

『インディアンズという組織の中に、100人ほどのピッチャーがいました。メジャーの投手の枠は12人ですから、簡単ではありません。確率を考えれば、結果を出し続けなければならないのだと覚悟を決めました』

『誰に何を言われているか、まったくわからない状態です。言葉も食事も習慣も、全然違う人と戦わなければなりませんでした。いきなり、なんだかわからない言葉で怒られることが何度もありました。彼らはグラブの上に座るのも平気、他人の道具を勝手に使う選手もいました。ボールは日本製とは大きさも手触りも、縫い目の幅も高さも違います。でも、そういうことを気にし始めると気になってしまいます。いろいろなことを考えると逆にわけがわからなくなる。だから小さいことは気にしないように、考えないようにしました。』

『通訳がいなかったことが僕にはよかったかもしれません。まともに言葉は通じませんが、彼らも手助けしてくれました。おかげで、すぐに会話ができるようになりました。

本当に、食べるものは、ハンバーガーしかありません。アメリカの田舎町には、23時に試合が終ったあとで食事できるお店はなかなかない。朝昼晩、全部マクドナルドだったこともありました。でも、それも仕方がないこと。慣れるしかありません。そのかわり、ホームゲームのときには、自炊するようにしていました。

一言で言えば、タフな毎日でした。でも、自分だけではありません。チームの全員が同じ条件で戦っているのですから、つらいとか嫌だとかは言っておられません』

『僕は日本ではアマチュアの選手でした。少ないながらもお金をもらってプレイするのはマイナーが初めてでしたから、待遇やお金のことで不満に思うことは少しもありませんでした。メジャーは、行きたいと思っても簡単に行けるところではないと改めて思いました。実際にすごい選手たちがマイナーでくすぶっているのを見ていますから。野球は数字のスポーツなので、結果を出し続けるしかない。そう自分に言い聞かせながら、プレイをしていました』

20044月、監督から「おめでとう。明日からメジャーだ。すぐに荷物をまとめるように。」

『あまりにも急なことだったので、信じられず、実感も湧きませんでした。僕がマイナーから上がってきたことをみんな知っているので、選手たちは好意的に迎えてくれました。一緒にバス移動して、ハンバーガーを食べた仲間です』

そのシーズンは14試合に登板し一勝一敗、防御率4.65という成績、2005年は一試合登板に終わり、またマイナーでの生活に戻った。

『初勝利を挙げたことはうれしかったのですが、僕にとって勝ち負けはあくまで結果で、あまり大きなことではありませんでした。もちろん、勝利よりもメジャーに上がって登板したことに価値を感じます』

2006,2007年は、メジャーで登板することができず帰国し、日本ハムに入団した。7年間で80試合に登板し、1820敗、防御率は4.43

『戦力外通告を受けたとき、34歳だったのですが、その年齢までプロでやれる選手はそう多くありませんから。球団と揉めることなくいい関係で終れたことはうれしかったですね。海外でプレイすることも考えましたが、体力的なことを考えると難しい。投手兼投手コーチとして、独立リーグの石川ミリオンスターズに入団することになりました』

『僕自身、まだ衰えを感じることはありませんし、バッターと対戦するのが楽しいという感覚があります。これまで野球をずっとやってきてわかったのは、当り前だとおもうことが当たり前じゃないということ。そんな事柄にぶち当たっても「なんで?」とカリカリしなくなりました。世界にはさまざまな野球がありますし、本当にいろいろな選手がいます。考え方も人それぞれ。

野球を通じて、「答えはひとつではない」ということを知りました。それが、選手を指導するにあたって、役立っていると思います。アメリカで5年、メジャーも少しだけ経験させてもらいました。日本のプロ野球で7年、独立リーグで2年プレイして学んだことを、これから生かしていきたい』

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