2019年11月11日月曜日

【中野さんの文化コラム】Performing Arts Review (38) 泉鏡花「外科室」に見る『永遠の一瞬』


Performing Arts Review (38)

泉鏡花「外科室」に見る『永遠の一瞬』

                           令和元1111日 中 野 希 也

泉鏡花(いずみきょうか。1873-1939)の作品が、教科書にとりあげられることはないだろうが明治、大正、昭和の三代にわたり天分に恵まれた言葉の力によって<美>と<永遠>の世界をめざし、ひろく愛好された文学者であった。
私が心酔するきっかけになったのは、活字ではなく1992年に見た映画「外科室」(坂東玉三郎監督、吉永小百合・加藤雅也主演)である。




ポスターの言葉、「一瞬のような50分、一生のような50分。」が私を射抜いた。
以下、文章の香を損なわないため、できるだけ岩波文庫版に即し紹介する。

外科室 上

予は絵師たるを利器として、ともかくも口実を設け、無二の親友の高峰医師の手術に立ち会う機会を得た。

…外科室の中央に据えられたる、手術台なる伯爵夫人は純潔なる白衣をまといて、死骸の如く横はれる、顔の色あくまでも白く、鼻高く、おとがい細りて手足は綾羅(あやぎぬ)にだも堪えざるべし…
…医学士は露ほどの感情をも動かしをらざるものの如く虚心に平然たるさま。…

麻酔薬を準備する看護婦に対し、夫人「くすりはよさうよ。」「それでは奥様、御療治が出来ません」「はあ、出来なくっていいよ」
「何故、そんなにお嫌ひ遊ばすの、ちっともいやなもんじゃございませんよ、うとうと遊ばすと、直ぐに済んでしまひます」

…この時夫人の眉は動き。口はゆがみて、瞬間苦痛に堪へざる如くなりし。なかば目をみひらきて…

夫人「そんなに強ひるなら仕方がない。私はね、心に一つ秘密がある。麻酔剤はうわごとを言ふと申すから、それが恐くってなりません、どうぞもう、眠らずにお療治ができないようなら、もうもう治らんでもいい、よして下さい。何故、眠らなけりや療治は出来ないか」
「お胸を少し切りますので、お動き遊ばしちゃあ、危険でございます。」
「なに、私や、ぢっとしている。動きやあしないから、切っておくれ。」

…夫人はここにおいてぱっちりと眼を開けり。気もたしかになりけぬ、声はりんとして…夫人「刀を取る先生は、高峰様だろうね!」
「はい、外科々長です。いくら高峰様でも痛くなくお切り申すことは出来ません。」夫人「いいよ、痛かあないよ」
高峰医師「夫人、あなたの御病気はそんな手軽いのではありません。肉をそいで、骨を削るのです。ちっとの間ご辛抱なさい。」
…医師はいまはじめてかくいへり。しかるに夫人は驚く色なし。
                               


夫人「その事は存じてをります。でもちっともかまひません。」
医師「ひとときおくれては、取返しがなりません。看護婦ちょっとお押さへ申せ」
腰元「まあ、ちょっと待ってください。おくさま、どうぞ、御堪忍あそばして。」と優しき腰元はおろおろ声。夫人の面は蒼然として
夫人「ききませんか。それぢや治っても死んでしまひます。いいからこのままで手術をなさいと申すのに。」と真白く細き手を動かし、辛うじて衣紋を少しくつろげつつ、玉の如き胸部をあらわし、
「さ、殺されても痛かあない。ちっとも動きやしないから、大丈夫だあよ。切ってもいい。」…先よりちとの身動きだもせで、死灰の如く、見えたる高峰、軽く身を起こして椅子を離れ「看護婦、メスを。」「ええ。」
看護婦「ぢやあ、お押へ申しませう。」

医師「なに、それにも及ぶまい。」…いふ時はやくその手は既に病者の胸を掻きあけたり。夫人は両手を肩に組みて身動きだもせず。
医師「夫人、責任を負って手術します。」時に高峰の風采は一種神聖にして犯すべからざる異様のものにてありしなり。
夫人「どうぞ。」と一言答えたる、夫人が蒼白なる両の頬に刷けるが如き紅を潮しつ。…三秒にして彼が手術は、ハヤその佳境に進みつつ、メス骨に達すと覚しき時、「あ。」と深刻なる声を絞りて、夫人は俄然器械の如く、その半身を跳ね起きつつ、メス取れる高峰が右手の腕に両手をしかと取り縋りね。
医師「痛みますか。」
夫人「いいえ、あなただから、あなただから」
いいかけて夫人は、がっくりと仰向きつつ、凄冷極りなき最後の眼に、医師をぢっと見守りて
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」
いふ時おそし、高峰が手にせるメスに片手を添へて、乳の下深く掻き切りぬ。医師は真っ青になりておののきつつ、
「忘れません。」
その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。夫人は嬉しげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、ばったり、枕に伏すとぞ見えし、唇の色変わりたり。
その時の二人が様子、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきが如くなりし。

外科室 下

九年前、高峰がいまだ医科大学に学生なりしとき、小石川植物園に散策した。つつじの丘に上ろうとして、池に添いつつ歩める時、貴族の一行とすれ違った。

                                          


   中なる三人の婦人達は、一様に日傘を指しかざして、裾さばきの音さやかに、するすると練りきたれる、ト行き違いざまに高峰は、思はず後ろを見返りたり。
「見たか。」高峰はうなずきぬ。「むむ。」
予は高峰と共に、若者たちを離れし時、高峰はさも感じたる面持ちにて
「ああ、真の美の人を動かすことあの通りさ、君はお手のものだ、勉強し給へ。」




その後九年を経て病院の彼のことありしまで、高峰はかの婦人のことにつきて、予にすら一言をも語らざりし
 

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